やまみちです。
勝海舟ってどんな人だったのだろう?私の思う勝海舟は「幕府側と倒幕側、双方と話しができた稀有な存在」です。その魅力と学びについてご紹介します。
歴史には諸説あるという前提で、私なりの解釈や想像も含めてこんなふうに考えてみるとおもしろいのでは、という視点でまとめてみました。
歴史ってちょっとおもしろいかもと思っていただく、きっかけになれば嬉しいです。
こんな人におすすめです。
- 勝海舟ってどんな人?簡単に知りたい
- 勝海舟の魅力について知りたい
- 歴史ってちょっとおもしろいかもと思っている
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【簡単】勝海舟はどんなことをした人?
勝海舟ってどんなことをした人なのかを簡単に。
- 1823年江戸(東京)に生まれる
- 1838年家督を相続
- 蘭学を学び私塾「氷解塾」を開く
- 1860年咸臨丸で太平洋を横断し、渡米
- 1864年神戸海軍操練所を開設
- 1868年戊辰戦争で早期停戦を主張し、江戸城無血開城を実現
- 明治維新後は元幕臣でありながらも、新政府で参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任し、伯爵に。渋沢栄一など旧幕府側の優秀な人材を新政府に推薦するなど、新政府と旧幕府の接点となる
- 1892年徳川慶喜の子を養子に
- 1899年、この世を去る。77歳の長寿を全う
勝海舟は山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれています。
【参考】Wikipediaより
私の思う「勝海舟の魅力」
勝海舟は私が興味を持ち、魅力的と思っている「坂本龍馬」や「西郷隆盛」とも交流のあった人物です。
では、勝海舟とはどのような人物だったのでしょうか?
私なりにまとめてみました。
もし「坂本龍馬」や「西郷隆盛」についても詳しく知りたいという方はこちらの記事も併せてどうぞ。
勝海舟は「幕府側と倒幕側、双方と話しができた稀有な存在」
私が思う、勝海舟は「幕府側と倒幕側、双方と話しができた稀有な存在」であり、そこに不思議な魅力を感じます。
「どうしたら、そんなことができたのだろうか?」と思うような存在です。
立場は幕臣なので幕府側です。
ですが、後に倒幕側となる雄藩諸侯や尊王攘夷志士とも交流がありました。神戸塾や神戸海軍操練所では薩摩藩や土佐藩の荒くれ者や脱藩浪人を抱えたりもしていました。
後に倒幕側にまわる人たちを幕府の費用で面倒をみていたということになります。
こういったこともあり、勝海舟は途中で職務をやめさせられてしまいます。
なぜ、そんなことをしたのでしょうか?
勝海舟が公議政体論(諸侯の政治参加を呼びかけ、幕府と共同で政治を行う主張)の支持者であったこと。
また幕府の海軍ではなく「日本の海軍」建設を目指していたことなどが背景にあるのだと思います。
おそらく、幕府のみでは限界が見えていたのだと思います。
そして、幕府よりも日本の未来を案じていたのではないでしょうか。
しかしながら幕府を見限りつつも、幕臣・勝海舟は幕府を完全に無き者にすることもできなかったのだと思います。
幕府内には勝海舟に対して批判的な人も多かったようですし、苦しく難しい立場だったと思います。
そんな中で勝海舟は倒幕側の西郷隆盛と直接会談し、江戸城無血開城を実現します。
そして、明治維新後は参議となり長寿を全うした勝海舟。卓越した処世術を持っていたのだと思います。
倒幕側に西郷隆盛、幕府側に勝海舟という人物がいなかったら。そして、江戸城無血開城が実現できなかったら、おそらく江戸は大火に包まれていたでしょう。
もし幕末に江戸が燃えてしまっていたら・・・
日本の近代化はもう少し遅れていたかもしれません。
東京(江戸)は首都になっていなかったかもしれません。
歴史に「もし」はないと言いますが、こうしていろいろと想像してみるのはとても楽しいです。
歴史的な過去と現代、未来はつながっているということを実感します。
こんなエピソードや評価もあります
子どもの頃、野良犬に襲われる
勝海舟は9歳の時に野良犬に襲われ股間を噛まれ、2か月ほど生死をさまよいました。
医者によると、「今晩持つかどうか保証出来ない」との診断だったそうです。
父親である勝小吉が「夢酔独言」に書いています。
それがきっかけで、勝海舟は晩年まで犬が苦手だったそうです。
評価は賛否両論
勝海舟の評価は賛否がわかれます。
大言壮語する成り上がりとして嫌っていた人も多かったようです。幕府内・外に敵も多かったのではないでしょうか。
特に福沢諭吉との仲は悪く、福沢諭吉は江戸城無血開城に関して、「徹底抗戦、討ち死にするべきだったのに降伏して江戸城を明け渡してしまった。こんなことは世界でも類をみないことで外国人は冷笑したであろう」と勝海舟の講和を厳しく非難したそうです。
かたや
西郷隆盛は「勝氏へ初めて面会し候ところ実に驚き入り候人物にて、どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候、英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申し候」と高く評価しています。
また坂本龍馬も「日ノ本第一の人物」と手紙に残しています。
これほど、評価がわかれる人も珍しいのではないでしょうか。
私が勝海舟から学んだこと
私が勝海舟から学んだことは
「自分が正しいと思うことを貫くことの大切さ」です。
これは決して簡単なことではありません。
敵も多く批判にさらされることもあり、大変だったのではないでしょうか。
到底、私などにマネできるようなことではありません。ただ、この学びは私の気持ちの奥に刻んでおきたいと思っています。
「かつて、多くの敵をつくりながらも自分の意志を貫いた人物がいた」ということはしっかり記憶にとどめておきたいと思うのです。
まとめ
幕末三舟のひとりである勝海舟の魅力と学びについてまとめてみました。
勝海舟は「幕府側と倒幕側、双方と話しができた稀有な存在」であり、私はそこに不思議な魅力を感じます。
幕臣という立場でありながらも、後に倒幕側にまわる諸侯や志士たちとも交流を持ち、江戸城無血開城を実現しました。
卓越した処世術の持ち主だったのではないでしょうか。
そして、私が勝海舟から学んだことは「自分が正しいと思うことを貫くことの大切さ」です。
同じようなことはできないまでも、その気概だけでも持っていたいと思います。
<まとめ記事の紹介>
仕事って難しい、肩の力を抜きたい、自分にはリフレッシュが必要だ、もう少し笑って生きたいという方はこちらの「世知辛い世の中だからこそ、笑って生きる」もご覧いただけたら嬉しいです。
私の経験が少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。