【木戸孝允(桂小五郎)について】どんな人?その魅力と学び

歴史

やまみちです!
木戸孝允(桂小五郎)ってどんな人だったのだろう?どんな魅力を持った人だったのだろう?私の思う木戸孝允は「生きて生きて生き抜いた人」です。その魅力とそこからの学びについて整理してみました。

歴史には諸説あるという前提で、私なりの解釈や想像も含めてこんなふうに考えるとおもしろい、ワクワクするということをご紹介します。

歴史ってちょっとおもしろいかもと思っていただく、きっかけになれば嬉しいです。

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【簡単】木戸孝允ってどんなことをした人?

【出典:Wikipedia 明治2年4月撮影の桂小五郎より】

どんなことをした人なのかをごく簡単に。

木戸孝允。幕末期は桂小五郎という名で活躍していました。

  • 1833年長州藩(今の山口県)に生まれる
  • 吉田松陰に学ぶ(松下村塾では学んでいません)
  • 長州藩の尊王攘夷派の指導者
  • 1864年の禁門の変後、8ヵ月に渡り潜伏生活。その後、帰藩
  • 1866年、藩を代表して薩長同盟を締結
  • 新政府成立後、政府官僚
  • 1868年、五箇条の御誓文を起草(民主主義の宣言)、明治維新の基本方針を定めた
  • その後、版籍奉還、廃藩置県などを断行。近代社会に向けて主導的役割を果たした
  • 1877年、出張中の京都にて病死

西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」のひとりで、幕末から明治維新までを生き抜きました。

西郷隆盛が率いる西南戦争中、木戸孝允は「西郷もいいかげんにしないか」と明治政府と西郷隆盛の両方を案じた言葉を最後にこの世を去ったという話しも印象的です。

【出典】Wikipedia「木戸孝允」を参考に抜粋

私の思う「木戸孝允の魅力」

【京都霊山の景色】

生きて生きて生き抜いた人

木戸孝允は「生きて生きて生き抜いた人」です。

とても強い思いと意志を感じます。

私は数年前、京都霊山を訪れました。

京都霊山には多くの幕末の志士たちが眠っています。

私は山のふもとからゆっくりと上を目指して歩きました。

坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎・・・次々と歴史上の人物たちの墓標があらわれます。

「この先の山頂にはいったい誰のお墓があるのだろう?」と考えながら私は登っていきました。

その山頂にあったのが木戸孝允のお墓です。

私はそのお墓の前にたたずみ、いろんなことを想像しました。

明治維新に至るまでの道のりで、多くの幕末の志士たちが亡くなっていきました。

木戸孝允はその志士たちの意志や思いを背負い、どんなことを思いながら過ごしていたのだろう?

そして、明治維新後まで生き抜き、今ここに眠っている。

そう思うと
この木戸孝允のお墓、そしてこのお墓までの道のりも含めて意味があるように思えたのです。

なんだか鳥肌が立つような感覚がありました。

歴史はここでも、私に感動とワクワクした気持ちを与えてくれました。

京都霊山は景色も良く、京都の中でも好きな場所のひとつです。もし京都に行くことがあれば、ぜひ足を運んでみてください。

木戸孝允や他の多くの志士たちも身近に感じることができます。

こんな逸話も魅力的

木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」のひとりです。

三傑とは言いながらも、素朴で生真面目な人柄がうかがえる逸話をいくつかご紹介します。

住所を尋ねたときは、必ず記録していた

わざわざ取り上げるような逸話ではないのかもしれませんが、この逸話は木戸孝允という人物の人となりをあらわしているような気がします。

「聞いたからには忘れない」

「ふむふむ」とメモをとる、とても生真面目で誠実な木戸孝允の顔が浮かんできます。

多くの後輩に夜食をふるまう

後輩に対して、非常に親切だったそうです。

木戸孝允の家に後輩が十数人集まります。そうすると、夜食にさまざまな料理が提供されたそうです。

例え後輩であろうと、偉ぶることなく、とても親切だったことが想像できます。

後輩の家でも気軽に訪ねる

目上の立場でありながらも、後輩の家を気軽に訪ねることがあったそうです。

身分の上下をあまり気にしない人柄がうかがわれる逸話です。

今も京都霊山から多くの仲間とともに、お酒でも飲みながら今の世をみているのかもしれませんね。

逸話がどこまで事実かはわかりません。でも、その人物の人となりを感じることができる逸話はとても興味深いし、おもしろいです。

【出典】逸話はWikipedia「木戸孝允」を参考に抜粋

私が木戸孝允から学んだこと

生きて生きて生き抜いた木戸孝允。

「生きているからこそ、できることがある」

これが私の学びです。

明治維新を見ることなく散った人たちもたくさんいます。

その中で木戸孝允は生きて生きて生き抜きました。

そして、明治新政府において近代社会の基礎を築いていったのです。

もし木戸孝允が幕末の動乱の中で亡くなっていたら、どうなっていたでしょうか?

歴史に「もし」はありませんが、「もし」を想像してしまいます。

西郷隆盛、大久保利通という、強烈なふたつの個性の中に木戸孝允がいたことでバランスがとれていたのではとも思います。

木戸孝允がいなければ、もしかしたら日本の近代化はもう少し時間がかかっていたのかもしれません。いろんなことを想像してしまいます。

そして、先に亡くなった志士たちの、こんな声が聞こえてくるような気がしました。

「桂さん、ありがとう」

生きて生きて生き抜き、生きていたからこそ、亡くなった志士たちの思いを背負いながら明治新政府での大仕事ができたのだと思います。

「生きてさえいれば、できることはきっとある」、私はそう思っています。

「維新の三傑」のもうひとり。西郷隆盛の魅力と学びについても記事にしています。よろしければ併せてどうぞ。

【参考記事】

まとめ

木戸孝允。またの名を桂小五郎。

生きて生きて生き抜いた、木戸孝允。

私はその生きざまから「生きているからこそ、できることがある」ということを教えられました。

幕末の動乱で散っていった多くの志士たちの思いを背負いながら、明治という新しい時代を切り開いていったのではないでしょうか。

もし京都の霊山を訪れることがあれば、ぜひお参りしてみてください。

「歴史ってちょっとおもしろいかも」と思っていただけた方には、こちらの記事も読んでいただけると嬉しいです。私が歴史好きになった理由をまとめています。

【参考記事】

私の経験が少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。

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