やまみちです。
豊臣秀吉ってどんな人だったのだろう?どんな魅力を持った人だったのだろう?私の思う豊臣秀吉は「人を味方につける達人」です。その魅力とそこからの学びについて整理してみました。
歴史には諸説あるという前提で、私なりの解釈や想像も含めてこんなふうに考えるとおもしろい、ワクワクしてしまうということをご紹介します。
歴史ってちょっとおもしろいかもと思っていただく、きっかけになれば嬉しいです。
こんな人におすすめです。
- 豊臣秀吉ってどんな人?簡単に知りたい
- 豊臣秀吉の魅力について知りたい
- 歴史ってちょっとおもしろいかもと思っている
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【簡単】豊臣秀吉ってどんなことをした人?
豊臣秀吉ってどんなことをした人なのかを簡単に。
- 1537年、秀吉は尾張(現在の愛知県)の貧しい農家に生まれました(確定的な史実を示すことはできていないようです)
- 近隣の国々を放浪しながら、20歳前後で織田家に仕え、持ち前の要領のよさでメキメキと出世していきます。冬の寒い日に織田信長の草履を懐で温めていたという逸話は有名ですよね
- 農民から織田家の下働きになり、重臣となっていきました。まさに戦国の出世頭です
- 秀吉は天下統一目前の織田信長に謀反をおこした明智光秀を討ち、天下統一を果たしました
- 主な政策としては「太閤検地」と「刀狩令」があります。
- 「太閤検地」とは、ほぼ同一の基準で全国の田畑や屋敷の面積などを調べ、全国から公平に年貢を取れるようにしました
- 「刀狩令」では農民による一揆(団結して暴動を起こすこと)を抑制するために、農民から刀や槍などの武器を取り上げました。この時、農民たちの協力を得るために「武器は仏像を造る材料にする」と伝えられたそうです。要領のいい、秀吉らしさを感じます
- 1598年にこの世を去ります。そして、徳川家康の時代へとつながっていくのです
【参考】Wikipediaより
織田信長から豊臣秀吉へ。そして、豊臣秀吉から徳川家康へ。徳川家康についても詳しく知りたいという方はこちらの記事も併せてどうぞ。
私の思う「豊臣秀吉の魅力」
豊臣秀吉は「人を味方につける達人」
秀吉は「人たらし」であった、ということをよく耳にします。
「そうだな」と思いつつも、言葉としてはネガティブな印象でちょっとピンときていませんでした。
「人たらし」は否定しませんが、秀吉は「人を味方につける達人」だったのではないでしょうか。私はそのように考えています。
非常に要領がよく、頭の回転もはやかったのではないかと思っています。
その才覚やキャラクターから「こいつは頼りになる」「この人は信頼できる」「憎めない人だな」と思われた(思わせた)のではないでしょうか。
これを意図的に、計算のうえでやっていたように思えるのです。
もちろん、徳川家康のように秀吉に対して表面的に味方を装った人たちもいますが、そうさせたことも含めて、秀吉は「人を味方につける達人」だったと思うのです。
400年以上も前の戦国の世に、こんな人がいて、天下まで統一してしまったのかと思うと歴史のおもしろさを感じてしまいます。
「要領のよさ」や「人を味方につける才覚」で天下を統一。
もちろん、それだけではないと思いますが、そう考えると歴史っておもしろいし、ちょっとワクワクした気持ちになりませんか?
こんな逸話もあります
度量の大きさ
小田原征伐の時に遅参した伊達政宗に自分の刀を預けて二人きりになった。隙だらけでありながらも、伊達政宗は秀吉の度量に気をのまれて斬りつけることはできなかった。
もしこれが本当の話しだとしたら、伊達政宗の気をのむなんて、すごい度量の大きさだったのだと思います。
斬りつけてくるかもしれない相手に刀を渡して、二人きりになるなんてことはとても私にはマネできません。
敵の心をもつかむ
戦いの最中、熱暑に苦しむ負傷兵に秀吉は農家から大量の笠を買い、敵味方の区別なく被せて回った。
また賤ヶ岳の戦いの後、小早川隆景に書状で「無精者は成敗すべきであるが、人を斬るのは嫌いだから命を助け領地も与える」と報じている。
敵にもあえて温情をかける。そして、味方につけていく。これも小早川隆景を味方につけるための秀吉の計算だったのではと思っています。
「達人」になるには、これくらい徹底しないといけないのかもしれません。
【参考】Wikipediaより
私が豊臣秀吉から学んだこと
秀吉は「人を味方につける達人」
これを現代に置き換えて、考えてみてください。
職場で、あるいは日常生活で、人を味方につけるというのはすごく難しいことではないですか?
これを意図的に計画的にやろうと思っても、なかなかできないことだと思うのです。
あまり露骨にやれば、逆に人は離れていってしまいます。
ときどき、味方を増やそうと画策する人を見かけることがあります。でも、だいたい周囲の人に見透かされてしまっています。
それを当時の農民から天下を統一してしまうほど、絶妙なバランスで人を味方につけていった秀吉。
私にはとてもマネできません。
私は秀吉ではないし、秀吉にはなれない。
そう考えた時に「私は意図的に味方を増やそうなんていうことは考えてはダメだ」、そう思いました。
身構えずに自然にふるまおう。それで味方になってくれる人がいれば嬉しいことですし、それで敵ができてしまったのなら仕方のないことだと思おう。
私は秀吉のような達人ではないのだから。
であるならば、ムリをして味方を増やそうなんてことは考えずに、自分ができることをやればいい。
秀吉は私にそんな学びを与えてくれました。
まとめ
私の思う、豊臣秀吉は「人を味方につける達人」です。
現代においても、人を味方につけるというのはすごく難しいことです。
しかも意図的に計画的にやろうと思っても、そう簡単にできることではないと思うのです。
しかしながら、秀吉は農民の出から 天下を統一してしまうまで、それをやり切りました。まさに「達人」です。
私には到底マネできることではないです。
だからこそ、私は意図的に味方を増やそうなんていうことは考えずに、自然にふるまい、自然に味方についてくれる人を大切にしよう。あらためて、そう思いました。
<まとめ記事の紹介>
仕事って難しい、肩の力を抜きたい、自分にはリフレッシュが必要だ、もう少し笑って生きたいという方はこちらの「世知辛い世の中だからこそ、笑って生きる」もご覧いただけたら嬉しいです。
私の経験が少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。