西郷隆盛ってどんな人だったのだろう?どんな魅力を持った人だったのだろう?
私の思う西郷隆盛は「打てば響く人」です。その魅力とそこからの学びについて整理してみました。
歴史には諸説あるという前提で、私なりの解釈や想像も含めてこんなふうに考えるとおもしろい、ワクワクするということをご紹介します。
歴史ってちょっとおもしろいかもと思っていただく、きっかけになれば嬉しいです。
こんな人におすすめです。
- 西郷隆盛ってどんな人?簡単に知りたい
- 西郷隆盛の魅力について知りたい
- 歴史に興味を持ちはじめている
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【簡単】西郷隆盛ってどんなことをした人?
西郷隆盛について
いつ頃生まれて、どんなことをした人なのかをごく簡単に。
- 1828年薩摩藩(いまの鹿児島県)に生まれる
- 子供の頃、友人の喧嘩の仲裁に入り、右腕を切られ刀を握れなくなってしまった
- 薩摩藩藩主、島津斉彬に仕える。斉彬を尊敬し、亡くなった時には後を追うことも考えたほど
- 1858年幕府から身を隠すために奄美大島に潜居
- 鹿児島に戻るも、島津久光の逆鱗に触れ沖永良部島に遠島
- 大久保利通、小松帯刀らの勧めによって赦免
- 禁門の変で薩摩軍を率いて長州軍を破る。その後、薩摩藩と長州藩は犬猿の仲に
- 1866年坂本龍馬、中岡慎太郎などの仲介で犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩は薩長同盟を結ぶ
- 大政奉還、戊辰戦争、幕臣勝海舟との交渉により、江戸無血開城
- 征韓論を唱えるも大久保利通らの反対にあい、明治政府を辞めて帰郷
- 1877年西南戦争開始。新政府軍に破れて城山で自決
ごく簡単にと思いましたが、長くなってしまいました。これでもだいぶ省略しています。
波乱万丈な人生だったと思います。
私の思う「西郷隆盛の魅力」
西郷隆盛は「打てば響く人」
今の世の中で「打てば響く人」というのはどのくらいいるのでしょうか?
恥ずかしながら私自身は「打たれても、あまり響かない」タイプです。
自分でもできていないのに偉そうなことは言えませんが「打てば響く」という人を、私はあまり見た覚えがありません。
悲観しているのではなく、「打てば響く」というのはそれだけ難しいことなのだと思っています。
打てば響く西郷隆盛。
信頼され、頼りにされる。大きな魅力を持った人物だったのだと思います。
なぜ「打てば響く人」だと思ったのか?
坂本龍馬の言葉が印象的です。坂本龍馬が西郷隆盛とはじめて会って、その印象を勝海舟に語った時の言葉です。
「小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く」
初対面でそう思わせてしまう。西郷隆盛という人物のすごさ、魅力を感じさせる言葉です。
ちょっと脱線しますが、
かたや西郷隆盛は坂本龍馬の印象をこのように語っています。
「龍馬の度量や到底測るべからず」
「これほど度量の大きい人物には会ったことがない」と評しています。
お互いを認め合った印象です。幕末という動乱の時期にこのふたりがめぐり合う。奇跡だったのか、運命だったのか。
こういったことにも歴史のおもしろさを感じてしまいます。
坂本龍馬についてはこんな記事も書いていますので、もしよろしければ覗いてみてください。
打てば響いた① 長州藩への強硬策を中止
長州征伐の際、勝海舟の意見に耳を傾け「なるほど」と思えば、柔軟に考えを変更。そして、その考えにそって行動したのです。
薩摩藩でも「長州討つべし」という強硬派が多い中、それをおさえて緩和策という真逆の方向に舵を切りました。もちろん勝海舟の意見だけでなく、その他の状況も加味しての判断だったのだと思います。
しかしながら、それがどれほど大変なことだったか。反論や反発も多かったのではないでしょうか。それでも自分が信じた方向に舵を切り、やり切ってしまう。
「打てば響く人」
まさにそのとおりです。
この西郷隆盛の決断は、その後の長州藩の運命をも変えた行動だと思っています。
打てば響いた② 薩長同盟を実現
犬猿の仲だった長州藩との同盟?「まさか」の出来事だったと思います。
もちろんこれには西郷隆盛だけではなく、多くの人物が絡んでいます。
それでも「長州憎し」の中で藩論をまとめ、同盟を成立させるまでには大変な苦労があったと思います。
会社でいえば、仲の悪い〇〇派と△△派で手を握るようなもの。私には到底できません。
それを西郷隆盛はまわりの協力を得つつも実現してしまいます。
打てば響いた③ 江戸無血開城を実現
戊辰戦争のさなか、当時の江戸(幕府側)は総攻撃を受ける寸前でした。総攻撃を受けることになれば江戸は大火に包まれていたでしょう。
そして日本国内の混乱をみて、外国勢が押し寄せてきていたかもしれません。
その流れの中で西郷隆盛は勝海舟と会談し、戦わずして幕府側に江戸を開城させました。
もちろんこれも西郷隆盛ひとりの意向ではないですが、その統率力と行動力には本当に感服します。
また余談ですが、この西郷隆盛と勝海舟の会談を事前に準備したのが山岡鉄舟です。
山岡鉄舟は「幕末の三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)」と言われたほどの人で、この人も魅力的な人物のひとりです。もし興味がありましたら、ぜひお読みください。
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打てば響いた④ 西南戦争でわが身を犠牲に
これは悲劇とも思える「打てば響いた出来事」です。
明治時代に入り、鹿児島に設立された私学校が大きな勢力となり暴徒化し、西南戦争へとつながります。
真意はわかりませんが、西南戦争への西郷隆盛の参加は当初は本人の意志ではなかったように思います。まわりに担ぎ出されてしまったという印象です。
打てば響く西郷隆盛は、最後には自分の命をもささげてしまいます。
私にはわかりませんが、西郷隆盛という人物はどこか「自分の死に時」を探していたようにも思えます。西南戦争へ向かっていくさまから、そんな想像をしてしまいました。
私が西郷隆盛から学んだこと
私は西郷隆盛のような「打てば響く人」に憧れを持っています。
ただ、現実の私と西郷隆盛には大きな大きなギャップがあることはわかっています。
私は西郷隆盛にはなれません。
だからこそ、
そうなれないまでも「少しでも近づければ」と思うようにしています。
「同じようになろう」と思ってしまうと、とても距離があり過ぎて努力すらしなくなるでしょう。
でも「少しでも近づければ」と思えば、たとえそこに行きつけなくてもほんの少しでも近づけるのではないか、成長につながるのではないかと思うようにしています。
まだまだ大きく響くことも、難題をクリアできるだけの行動力もありません。しかしながら西郷隆盛という人物に憧れを持つことでほんの少しでも近づければと思います。
「打てば響く」というのは簡単なことではないと思っています。
ただ、そこであきらめてしまったらそこで止まってしまいます。
あきらめずに少しずつでもいいからそこに近づこうと思うこと。それが自分の成長につながっていくのではないでしょうか。
これが私の学びです。
まとめ
西郷隆盛の魅力は「打てば響く人」
「打てば響く」というのは簡単なことではありません。
しかしながら、西郷隆盛という人物に憧れを持ち、少しでも近づきたいと思うことが私を成長につなげてくれています。
西郷隆盛という人物の器の大きさ、柔軟な発想力と行動力には本当に頭が下がります。
当時、実際に西郷隆盛に会った人の話しには「ギョロっとした大きな目が怖くて、顔を直視できなかった」なんていう話しもありますが、私には司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」に登場する西郷隆盛の印象が強いです。
「翔ぶが如く」の西郷隆盛はとても魅力的に描かれていて、思いやりに溢れています。
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いまの時代に、もし西郷隆盛のような人がいたらどうだったろう?と、つい想像してしまいます。
どんなことに響いてくれるのか?響いてくれないのか?
あるいは贅沢を好まない人だったので、いまの世を見て呆れてしまい、田舎で隠居暮らししてしまうかもしれませんね。
西郷隆盛という人物は私の想像をはるかに超えている気がします。
いまの世にいたら、ぜひ会ってみたい、話してみたい、魅力的な人物のひとりです。
「維新の三傑」のひとりである木戸孝允(桂小五郎)についても詳しく知りたい方はこちらの記事も併せてどうぞ。
そして、もうひとりの「維新の三傑」大久保利通についての記事です。よろしければお読みください。
<まとめ記事の紹介>
仕事って難しい、肩の力を抜きたい、自分にはリフレッシュが必要だ、もう少し笑って生きたいという方はこちらの「世知辛い世の中だからこそ、笑って生きる」もご覧いただけたら嬉しいです。
私の経験が少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。