やまみちです!
徳川家康ってどんな人だったのだろう?どんな魅力を持った人だったのだろう?私の思う徳川家康は「人の気持ちを動かす達人」です。その魅力とそこからの学びについて整理してみました。
歴史には諸説あるという前提で、私なりの解釈や想像も含めてこんなふうに考えるとおもしろい、ワクワクするということをご紹介します。
歴史ってちょっとおもしろいかもと思っていただく、きっかけになれば嬉しいです。
こんな人におすすめです。
- 徳川家康について、どんな人だったのか簡単に知りたい
- 徳川家康の魅力について知りたい
- 徳川家康や歴史に興味を持ちはじめている
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【簡単】徳川家康について どんなことをした人?
徳川家康について
いつ頃生まれて、どんなことをした人なのかをごく簡単に。
- 1542年三河国(現在の愛知県)に生まれる
- 2度も人質を経験(織田信長の人質→今川義元の人質)
- 織田信長の家臣団になる
- 1564年三河国を統一
- 1572年「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に敗北
- 豊臣秀吉と対峙するも忠誠を誓うことに
- 1600年「関ケ原の戦い」(豊臣秀吉の死後、天下取りの戦い)
- 1603年征夷大将軍となり江戸幕府が誕生
- 「大阪冬の陣・夏の陣」で豊臣家を滅亡へ
- 江戸幕府はその後、約260年続く
戦国の世を終わらせて、260年以上も続いた江戸幕府を築いた人です。
明治時代の直前までが江戸時代ですから、長い目で見れば「ついこの間までは江戸時代だった」とも思えてしまいます。
そう思うと意外と身近な時代のはじまりをつくった人なのです。
私の思う「徳川家康の魅力と学び」
人の気持ちを動かす達人
家康は「人の気持ちを動かす達人」だったのではないかと私は思っています。
戦国という乱世の中で敵の気持ちを動かし、自分の味方にしてしまう。
実際に武田信玄の家臣や北条氏の家臣を受け入れて自分の味方につけてしまいます。
また豊臣秀吉傘下であったはずの加藤清正や福島正則をも、みごとに味方にしてしまっています。
偶然、味方につけられたのではありません。家康の意志と行動によって、なるべくしてなったのだと思います。
「人の気持ちを動かす」というのはそう簡単なことではありません。
家康にはそれを可能にするだけの「大きな器、信頼の高さ、人間としての魅力、知恵」があったのでししよう。
しかも、最終的には戦国の世を終わらせてしまうほどの人ですから、その魅力の大きさははかり知れません。
大河ドラマなどにも複数回とり上げられているのもうなずけます。
家康は「戦国最強のマーケター」とも言える
「人の気持ちを動かす達人」である家康は私にはこうも見えるのです。
「戦国最強のマーケター」
マーケターは「どうしたらこの商品を買ってもらえるだろうか?」「どうしたら人の気持ちを動かすことができるだろうか?」と日々考えています。
家康は商売をする人ではありませんでしたが、「人の気持ちを動かす」ことにこれだけ長けていれば、あっと言う間にヒット商品を生んでしまいそうな気がします。
こんなふうに想像すると、現代にも通じるところがあってちょっとおもしろく感じてしまいます。
なぜ「戦国最強のマーケター」だと思ったのか?
ここでは詳しい説明はしませんが、マーケティングに”3C分析”という手法があります。
Company(自社)、Competitor(競合)、Customer(顧客)の3つの視点で分析して、どのように商品・サービスを買っていただくかを考えるという手法です。
家康はマーケティング手法がまだ確立されていない、この時代にこの3つの視点で考え、みごとに人の気持ちを動かしていると思ったからです。
自分を知っている
家康は自分の性格や長所・短所をよくわかっていたのだと思います(自社の視点)。
印象深いエピソードをひとつ。
武田信玄との「三方ヶ原の戦い」
家康は過信したのか?勝ちを急いだのか?まわりの意見を聞かずに武田軍に攻めこみました。
しかしながらその結果、窮地に立たされ敗走。命からがら、何とか逃げ帰ります。
家康はその時の失敗と自分の情けない姿を忘れまいと自画像を描かせました。
「しかみ像」とも言われていて、お世辞にも立派な肖像とは言えません。
しかしながら、自分の情けない姿を”戒め”として自画像に残そうなんていう人を私は他に知りません。
これも自分だ。
自分自身の失敗や弱点を胸に刻みこもうとしたのだと思います。
なかなか真似できることではないです。
敵を知っている
家康は敵のことも的確に把握していたのだと思います(競合の視点)。
例えば「関ケ原の戦い」では敵となり、豊臣政権を守ろうとする石田三成。
家康はこの石田三成の実力、性格や欠点まで熟知していたように思います。
生真面目すぎて、あまり融通のきかない石田三成。それをあまり心よく思っていなかった武将も多かったようです。
この求心力の弱さを石田三成の弱点とみたのではないでしょうか。
周囲の武将の気持ちを知っている
家康は味方につけるべき周囲の武将の気持ちをも理解していたのでしょう(顧客の視点)。
家康は石田三成に対する武将たちの感情も把握したうえで、そこを巧みにつき、武将たちの気持ちを動かして自分の味方につけていきます。
豊臣秀吉への恩義はあるが、石田三成の指示に従う気にはなれない・・・
家康は武将たちのそんな感情をみごとにつきます。
「秀吉を思う気持ちは私も同じ」。そして「私につくほうが”利”もある」と説いたのではないでしょうか。
戦国の世では人は”感情”と”利”で動くということを熟知していたのかもしれません。
家康はこうして「関ケ原の戦い」の前から武将の気持ちを動かし、味方につけていき、勝利への下地をつくっていったのです。
これが私から見て、家康を「戦国最強のマーケター」だと思った理由です。
まとめ
徳川家康は「人の気持ちを動かす達人」であり、私にとっては「戦国最強のマーケター」とも言えます。
「自分を知り」「敵を知り」「周囲の武将たちの気持ちを知り」、人の気持ちを動かしていく。
そして敵をも味方につけ、戦に勝利。
約260年も続く江戸幕府を誕生させたのです。
もし現代に家康が生きていたら何をしているだろうか?とさらに私は想像をめぐらせてしまいます。
大企業の社長?
政治家?
いや、もしかするとこの時代においては学校の先生とか?
家康が学校の先生なら、ぜひ教わってみたいものです。
教科は歴史?
家康なら「関ヶ原の戦い」を「江戸時代」を、どのような解釈で教えてくれるのだろうか?
考えただけで、ワクワクしてしまいます。
「【歴史はおもしろい】私が歴史好きになった理由」という記事もありますので、よろしければ併せてどうぞ。
歴史って「ちょっとおもしろいかも」と思えていただけたら嬉しいです。
<まとめ記事の紹介>
仕事って難しい、肩の力を抜きたい、自分にはリフレッシュが必要だ、もう少し笑って生きたいという方はこちらの「世知辛い世の中だからこそ、笑って生きる」もご覧いただけたら嬉しいです。